最近、朝の時間が増えたので
朝一でブログを書くようにしている。
20歳の自分を思い出しながら。
もちろん、今でもバッチリ目指しているけどね。
誰かを意識したわけでなく自分の
バックアップであり、自分の子孫たちが
少しでも感化されたらと思って。
先日、ある人の文章にとても共感したので抜粋。
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「なかなか人生思ったとおりにはならないよなぁ」
というセリフがよく出るので、 その友人に、
“では何をやりたいのか?”を聞いたところ、
彼らが思った通りのことに時間を費やしていない
という事実を知って、
“思ったとおりのこと”に時間を使わなければ
“思ったとおりにならないだろ?”
と気がついたという話だった。
「何やりたいかわからない人をみると、
『どうして!?』って思うだろ? それは
その人が毎日やらなきゃいけないことばかりをしていて、
本当に自分のやりたい ことに時間を使ってないからだよ」
「あなた自身が本当に “思い通りのことを
してる時間” は一日のうち何分?
……それがあなたの人生の時間ですよ!」
「もし今日が人生最後の日でも、あなたは同じことをしますか?」
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とまあこんな感じ。
自分は、20歳のときにこの事実になんとなく
気づいて、とにかく時間を変えた。
このままの延長線上に自分の思った通りの
未来は間違いなくなかったから。
それがリアルに想像できたから。
このままやっても思い通りにならないと
いうことがなんとなくわかってはいるけど何もせず、
週末、酒で愚痴を流すと言った生き方は
本気でカンベンだったから。
自分の中でたった一度しかない人生を、
思い通りに過ごせないなんてありえないと思ったから。
夢のひとつもかなえずに終わるなんて
心底ダサいと思った。
会社と飲み屋と自宅の往復で終わる人生が嫌だったから。
周りのほとんどがこっちの道をチョイスしたけど、
自分は「これが普通だ」と思えなかったから。
自分の普通にしたくなかったから。
「普通が何だか気づけよ人間」ってかのブッダ氏は
おっしゃっていますが、たしかに大半の人が
そうしてるからといってそれが普通とは限らないと
思ったから。
ホンモノ!って思う店屋はだいたい大半の人が
知らないとこにあるように、 ホンモノ!って
思える生き方も絶対自分の心の奥底にあるはず。
このことに気づいたら、ちょっと何かが変わってきた。
自分の中での違和感があったらそれを素直に
感じ取って、自分のピンとくる形をイメージするしかない。
本当にそう思うし、この違和感に気づけたときに
普通の概念が自分の中で変わると思う。
人生一度きり、誰かに作られた普通で満足
するフリをする人生よりも、自分の心から湧き出た
普通に従ってそれに縛られる人生こそ、
僕は人生だと思う。
もちろん、難しいのはわかるけど、目指すから
その分、楽しいんだと思う。
未来は目指せば明るいよ!いつでも。